初体験、それは未知の領域。
知らない世界に足を踏み入れる恐怖、しかしその恐怖までも凌駕してしまう程の知的好奇心と興奮、高揚。
自分の中の常識が揺らいでいる苛立ちと心地よさ。
知識の上では理解しているが体感していないという落差、葛藤。
知らなければ良かった、とつい他人のせいにしてしまうエゴイズム。責任転嫁。
しかしその意識は薄れていき、次は自分自身が知りえた体験をこれ見よがしに周りの者へひけらかしていく。
さも当たり前のように。
自分の中で越えてはいけない一線という物が誰しも必ず、いや、少なからずあるであろう。
それは人によって異なる事、言動、行為、関係であろうが、きっとそれは何を差し置いてでも守りたい物ではなかろうか。
自分の中の正義において。
いや、それよりも常識に基づいて。
しかしだ。
その一線を越えなければ一歩前に進むことは何時になってもないのではないだろうか?
自分の中で越えてはいけない一線という物を設定してしまっているという事は、
その一線に何かしらの期待、理想などを乗せて考えてしまっているのではないだろうか?
常識的に考えれば、そんな事はしない方がいい。しちゃならない。したくない。自分の理性がそう答える。
だが、一線の妄想は本能が導き出した答えではないだろうか?
一線について葛藤している人にだけ当てはまる理論ではあるが。
葛藤しているならば、その事柄について悩んでいるならば、僕は言いたい。
偽善は止めにして本能に従うべきだ、と。
この結論は前述の、冒頭のクダリを見ていただければ多少の理解は得ていただけたと思う。
要は、後悔してもそれで何かを得る事になるので自分には何かが残る。という事だ。
犯罪行為でなければ(法に触れてしまう事ならば諦めた方が良いと思う。一生後悔してしまうのはバカらしい。)、
そして、眠りを妨げられてしまう程、葛藤しているのならば、行動をおこさないよりは行動をおこした方が健全だろうと思う。
失敗を恐れていては何も出来ない。先人はよく言ったものだ。
ここで文章を終わってしまったら只の説教になってしまうので僕の越えた一線の話しをしよう。
自分の中で手を出してはいけない領域。
興味がないといえばウソになるが、手を出してしまえば戻れなくなる!と言う葛藤。
意味がないのではないか?プラスになるのか?心が痛むだけではないのか?と何度も繰り返された自問。
しかし、自分の中に潜む本能に従い、ついに未知の領域、
俗に言う
A.F
に手を出してしまいました。
先に結果を言ってしまうと、一歩踏み出してみてヨカッタ。と言えるだろう。
これによって感じる快感は他のモノでは味わえない征服感を味わえる。
もちろん金もそれなりにかかったが、自分の道楽の為だ。値切るなんて「粋」でない事はしない。
そんな値切るなんて行為はきっとこの世界では礼儀に反する事であろう。
その日は自分の欲求に任せ同時に3人と言うか「3体抱き合わせパック」とでも言うのだろうか、とにかく
「買った」
のである。
初心者なのでそれはどうかと思ったのだが誘惑には敵わなかった。
その前日にも実は一人「買った」ので迷いは生じていたのであるが今となっては
「買って」よかったと心から思える。
迷っていて「とりあえずもういいか。」と思っていたら、
自分の好きなように並ばせ、
好きな角度から眺め、
色々とイジッテみたり、
好きなように遊ぶことも出来なかった様に思える。
(抜いたり、入れてみたり。)
ああ、やっぱり本能に従って良かった。
僕は今まで何を恥ずかしがっていたのだろう。
でも、やはりマニアと言われてしまうのだろうか?
それは少なからずショックである事に間違いはないが、きっと行動をおこしていなかったら後悔していたのだと思う。
確実に。
あの色・・・あの形状・・・
流れる様なフォルム・・・
完全再現とまではいかないが納得のいく造形・・・
企画が素晴らしいよ、素敵だよ。マクファーレン・トイズ・・・
金田は全然似てないけどさあ・・・
・・・・・
は?
何ですか?
何が納得いかないんですか?
A.Fって
アクション・フィギュアの事ですよ?
注1:「3体抱き合わせパック」とは『AKIRA』に登場する、『金田』・『鉄男』・『金田のバイク』のフィギュア3体が
まとめて売られていた物である。
注2:「前日に一人買った」のは海洋堂トイ・トライブ作『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』のフィギュアである。
注3:「(抜いたり、入れてみたり)」はフィギュアのパーツを差し替えていた事である。
別の事と勘違いしていた人の苦情は
一切お断りです。(笑)