5. ラジオッコ

僕は仕事柄、夜の仕事が多い。

完全に昼夜が逆転の生活。

朝の5、6時に家に帰り着き一っ風呂浴びた後、「めざましテレビ」を見ながらビールを呑む。

僕にとっては夕方の6時感覚なのだが「おはようございます」とテレビに言われる。

たまに家からすぐの自動販売機にタバコを買いに行こうと、
Tシャツ、短パン、サンダルスタイルの赤ら顔でヘアバンドの僕がフラフラした足取りで横断歩道を横切ると、
その課程でどうしても通らなければいけないバスの停留所に並んでいるこれから出勤連中から

「若いのに仕事もしないで呑んでるのか」

「嫌だ、浮浪者かしら」

「人間ああまで堕落したら終わりだな」

等という感じの「負」の視線を一斉に浴びるのだが、
僕は「君らとは時間帯の違う職種であり、仕事を終えて疲れた自分にオツカレ。の意味を込めてビールを呑んでいるのだ。
それの何が悪いか!」

という確固たる意思があるので、
どっからどう見ても堕落した酔っ払いスタイルでも胸を張ることが出来る。

 

恥ずかしくも何ともない。(強がり)

 

ただ、停留所から道路を挟んでほぼ真正面にあるその自販機で

お釣りをぶちまけてしまった時や、

 

品物を取り忘れ、家からダッシュでタバコを取りに戻るとき等

 

少しだけ恥ずかしい。

(少しではない)

 

更に、ダッシュで取りに戻ったにも関わらず
既に次に買っていったであろう人に持っていかれていて

軽いパニック状態になり

スパスパと何度も取り出し口に手を入れ探した挙句、

あきらめてまた買い直す様子を一部始終見られてしまった時は

流石に大回りして別ルートで帰った。

 

 

そういう時に限ってバスは来ないものである。

 

 

話しが逸れたが、とにかく僕は人々が寝静まっている時間に仕事をしている。

休憩時間には車で休む事が多く、大抵は食事を取るか、時間イッパイ仮眠を取るか、である。

しかしお腹が空いていない事もあれば目が冴えて少しも眠くない事もある。

そんな時の娯楽は「カーラジオ」を聞く事以外残されていない。

選択の余地はない。

 

その昔、高校生だった僕は「ラジオッ子」だった。

 

しかもAM派。

 

今その事をウッカリ喋ってしまうと8割方

「趣味悪ー」

と言う目で見られる。

 

自分の中でラジオ大ブレイク中だった時は10時になった瞬間、
電波障害が起こる為テレビを消し、ヘッドホンを装着して

伊集院光のOh!デカナイト

を貪るように聞きふけったものだ。

 

家族が見たい番組があってテレビを消してくれず

「ラジオを聞くからテレビ消してくれよ!」

と言っても消してくれないので、文句を言っていたら

ひっぱたかれそうになった時

泣く泣く携帯ラジオを窓から外に出しヘッドホンで聞いていた。

 

さっきまで文句をブーブー言っていたのに

すぐにニヤニヤしてラジオを聞いている様はさぞ怖かった事だろう。

 

その後、ヘッドホンのコードだけでただぶら下がっていた携帯ラジオは
自重に耐え切れなくなり

二階の窓から幾度となく

ダイブしたのは言うまでもない。

 

 

それ程のラジオッ子だった為、
当時人気のあったバラエティーやドラマなどは全く見ておらず友達との会話についていけない事もしばしばあったが、
そんな高校生にとって致命的な事ですら帳消しにしてしまう程の爆笑が「Ohデカ」には詰まっていた。

誰もが見ているバラエティーのネタなんかより他の誰も知らないようなネタに魅力を感じていた年頃であったように今は思える。

多数の意見より少数の意見の方がカッコ良いとでも思っていたに違いない。

Ohデカ」番組内で結成された

荒川ラップブラザーズ

(伊集院光と何とかコージ(忘れた)の二人が手を組んだラップユニット。
代表曲に「アナーキー・イン・AK」というシングルがある。)

というユニットがCDを出す事になった時は
発売日に自転車を原付並みのスピードで漕ぎ地元のレコード屋に行き

「ARAKAWA RAP BROTHERSのARAKAWA魂(CDタイトル)ありますか?!」

と入店後2秒後にろくに探しもせず意気込んで店員に凄み、
誰も買わないようなCDを初回限定で購入した。

(初回限定特典は『バーコードバトラー専用 「超能力戦士入り」』であった。
もちろん現在において「バーコードバトラー」(バーコードを読み取りパラメーター化された戦士を戦わせる。)なる
オモチャは生き残っていない。)

 

当時、伊集院光はラジオでしか露出がなく(多分)
CDのジャケットに映し出されている伊集院の姿に

度肝を抜かれた覚えがある。

 

そのころ、正に仲間内でラップが注目され始めた頃で僕は勇んで
荒川ラップブラザーズ」を注目のラップユニットとしてみんなに紹介したのだが

「なんだよ、これ?全然ラップじゃねーじゃん。
ただラップっぽく怒鳴ってるだけだよ。韻踏んでねーし。
誰これ?ふざけてんの?

マジでこれがイイと思ってるんじゃねーよなー?

スチャダラの足元にも及ばないぜ?」

等と

 

言葉の暴力全開

仲間達は僕を殻に閉じこもらせようとしていた。

 

 

しばらくは 「荒川ラップブラザーズ」 が 「スチャダラパー」
(当時9対1の割合でスチャダラ人気。もちろん1は僕)

に匹敵するぐらいの面白いラップだ!
(この時点で負けを認めているような解釈)

と公言してはばからず、
ライオンの群れにただ一匹のみで立ち向かう勇敢な野ねずみのような立場で奮闘していたが、
スチャダラ派の仲間達に

 

「今度スチャダラの渋谷でやるライブのチケット取るんだけどオマエは行かないだろ?
行っても曲とか分かんないだろ?」

 

と言われたので

 

 

「CD貸してくれる?

(超小動物風)」

 

とカミング・アウトして言うと

 

 

「オマエは偉い!!よく頑張った!」

 

と言われたので、満面の笑みで笑って誤魔化しながら

 

 

荒川ラップブラザーズの事は忘れてしまおう」

 

 

と思った。

 

 

 

それは少数派意見が多数派意見に屈した、極、当たり前な情景であった。

 

 

 

ライブ最高だった。(笑)

 

 

その日を境に僕の中のランキングで、

「伊集院光、知名度はないが(ラジオだから)最高に面白い人No.1」が

「伊集院光、知名度がないから(ラジオだから)ダメなんだNo.1」に

変わったのは言うまでもない。

 

もちろんラジオからも遠のいていく自分がそこにはいた。

この結論に至るまでの代償が

 

『携帯ラジオ3台』

というのは安上がりであっただろうと思い込みたい。

 

書こうと思っていた事とベクトルがあまりにも違う方向に向いてしまったため、

 

つづく。

BACK STORYNEXT STORY

7's HEAVEN's heaven